#72 日常と非日常

 

おはようございます。

 

時刻は10時過ぎ。

30分の遅刻です。

行かなかった昨日よりマシだ。

だがマシになるのが遅すぎた。

気にすんな。

死にはしねえ。

 

 

なんでだろうなあ。

 

早く寝ればなんとかなると思って12時に寝たんですけどね。

結局7時から9時までスヌーズと格闘してましたね。

何回俺を起こすつもりなんだあいつらは。

そして俺は決して諦めなかった。

よく戦ったぞ。

 

褒められることじゃないですか。

そうですよね。

 

 

本当は朝早く起きてやりたいことをやって結果を出したいんですよね。

でも今は、そのやりたいことが何か分からない。

 

本を書きたいのか、コントを作りたいのか、リリックを書きたいのか、勉強がしたいのか、コピーライティングを学びたいのか、デザインについて知りたいのか

 

多分全部。

 

本当に全部したいんですよ。

 

でもやっぱりそこは絞らないと。

 

それが「覚悟」なんでしょうね。

 

それについては昨日も書いたんでもういいか。

 

 

今までで一番幸せな目覚めがありました。

 

それは前の彼女とディズニーに行く当日の朝です。

 

4時ぐらいに起きないといけないので、23時ぐらいには布団に入って。

 

その時は、睡眠時間短いなあ、これは寝坊する可能性が高いぞ、なんて思ってました。

 

でも結局はほとんど寝付けず、何度も目覚めました。

最終的には寝るのを諦めて3時半ぐらいには起き上がって準備してました。

 

家を出て駅へ向かう間の、まだ暗くて車も通らない静かな大通りを今でも覚えています。

 

つい5ヶ月ほど前のことです。

 

最近やないかーい!!

 

そのディズニーで泊まった時も22時ぐらいに寝て6時に目覚めました。

あれも幸せな目覚めだったなあ。

 

 

大学生の男女がお泊まりして、本当に何もないまま朝を迎えたんですよ。

もう、それは、奇跡ですよ。

 

というか向こうが先にお断りしてきたんで、どうしようもなかっただけなんですけどね。

 

結局それが別れた原因になったと考えると、今でも切ないですよね。

 

いいじゃないか、愛を確かめ合っても。

 

 

まあいいやそんな話。

 

とにかく、楽しみがあれば、非日常的な楽しみであれば早く起きれるということですよ。

 

だから毎日を非日常だと思っていれば早く寝て早く起きれるかもね。

 

 

でもそれは本当にいいことなのかな?

 

僕たちが生きているのは紛れもなく日常だ。

それはもう、抗いようがない。

何故なら日常がなければ非日常がないのだから。

 

僕は卒業式の時にこんな話をクラスでしました。

 

「卒業式という特別な一日も、今まで過ごしてきた日常の一日でしかない。今日も明日も明後日も、ただ一つながりの日々である。だから結局は今日を生きて明日を生きるしかない」

 

だいぶ綺麗にまとめ直しました。

本当はもう少し長々と話しました。

 

僕の考えでは全ての日は等しく分けられた時間の中の一日であるということです。

つまり全ては同じ価値であると。

そこに優劣はないのでは。

 

 

そうか。

逆に考えると、全ての日の価値を高めればいいのか。

 

そうすれば毎日がもっと大事に楽しくなるかもしれない。

そしたら、朝も起きれるかもしれませんね。

 

 

ああ、なんかイイ話をした気になってます。

実際はそんなにイイ話ではないでしょうね。

 

まあ今はそんなもんでいい。

 

それじゃあまた