#43 お昼間に書いたもの

こんばんは。

以下の文章は僕が昼間の気が狂うほど暇な時に書いたものです。

徒然草森見登美彦さんをかじったように思えてかじれてない文章ですのであしからず。

 

 

 

徒然なるままに(2016年7月5日)

 徒然なるままに何かを書こうと思うぐらいには私は暇である。いや、暇という言葉には語弊がある。暇と言ってしまうとあたかもやることが何一つないダメ人間だと思われてしまいがちだが、今の私にはやることはたくさんある。直さなくてはならないストーリーがいくつかあるし連絡しなくてはならない事務作業もいくつかある。そう、つまり私は暇ではないのだ。暇ではないが暇と名乗る。この心はいかに。

 

 

 そう。やる気が起きないのである。おかしな話だ。わざわざ作業をするために部屋を取って時間も取ってあるのだ。クーラーもガンガンかけている。少し寒いぐらいだ。そこで私は今その机でケータイから音楽をかけてノートパソコンを開いている。すぐ隣にはネタ帳が入った鞄がある。これを取り出してガシガシ頭を使ってストーリーを考えて脚本を書けばいいのだ。私が今開くべきはネタ帳と別のワードファイルであり、けっしてこの文章を書くための新規ファイルではない。それなのに私の手はほぼ無意識にキーボードを叩いている。これはどういう状況なのだろうか。

 

 それはそうと明日は私の誕生日である。去年までは祝ってくれる愛しの女性がいたのだがどうやら最近その方はどこかへ行ってしまったようだ。世間ではこれを「別れた」と呼ぶらしい。なるほど。たしかにそう言われるとそんな気がする。そんなわけで明日の誕生日を心から祝ってくれる人はただ一人私だけになりそうだ。仕方のない話でござる。

 

 誕生日には誕生日プレゼントというものがつきものである。私も今までいくつか貰ったことがある。日頃そこまで親しくない後輩なんかがくれた時にはなんとも嬉しいものである。それに引き換え普段からの友人から貰うというのは些か恥ずかしい気持ちもある。常日頃お互い罵詈雑言を浴びせ合っている共なんぞはもはや何も欲しくないのが本音だ。変に気を使うのが面倒だからだ。だが一方気になる女の子からは何を貰っても嬉しいものだ。お菓子でも物でもなんでも構わない。ただ私の理想としてどうしてもメッセージが欲しいのである。お菓子の箱に何か一言書いてあるだけでも本当に嬉しいものである。それだけでそのお菓子は世界に一つしかない特別なお菓子になるのである。貰ったものは未来永劫保存されることであろう。そうなればお菓子を作った会社もこれ以上ない職人冥利に尽きるだろう。非常に喜ばしいものだ。それに引き換えメッセージのないお菓子なぞはただのお菓子である。そうなった時には本人の好みに合うかが非常に大きな問題となる。これで好みでなかったらそれはただの迷惑である。もしかしたら新たな好みとの出会いとなるが、その可能性に賭けるよりかは一言書くだけでリスクをヘッジできるのだから、私は書くことをお勧めする。

 

 長々とお菓子にメッセージを書くことを推してきたが実はそれ以上の好物があるのである。それは、そう。「手紙」である。しかもこれは手書きという制約条件が課されたものである。これ以上に喜ばしいものがあろうか。いやない。反語である。感謝の気持ちや祝福の言葉など、普段面と向かっては言えないことなどが書いてあればもうそれは国宝級である。これこそ今の日本が最も大事にすべきものである。さらに、これが可愛い乙女からの手紙だった場合である。これはもはや世界文化遺産に即認定ものだ。あわよくばデートのお誘いなどが書いてあればこれはもう、二度と忘れることの出来ぬ思い出となること間違いなしだ。貰った側は未来永劫その話を語り続けることだろうし、それを聞いた者どもはそのような可憐な乙女の存在に胸をときめかすだろう。そうなればその乙女の評価も青天井なわけであり、全員がハッピーになれるわけだ。これこそウィンウィンの関係である。もはやウィンウィンウィンである。

 

 以上より私は誕生日プレゼントに可愛い乙女からのラブレターを要求する。それ以外は曖昧な苦笑いで受け取ることをここに高らかに宣言してこの文章を終える。

 

 

 

 

 

 

念のために述べておくが私は何を貰っても喜ぶ。

少々気が狂っている状況で書いたことを改めて主張しておく。

それと、私は友達が少ない。

だから多少何をほざいたところで失うものは少ないのだ。