#97 good day
はいどうもこんばんは。
夏ですね。
なんとか僕も夏が始まりましたよ。
少しドタバタ、というかダラダラしていて最近は更新が遅い、気がする。
まあ、それだけ書くこと以外が充実しているとポジティブに捉えていきます(事実と異なります)
さあ夏が始まったということで今日はマジックの練習をしバイトをこなして劇団の人と買い物をし家に帰って母親とご飯を食べるという、まあ文面では良い一日を過ごしました。
実際良い一日だったのかな?
良い一日ってどうやって判定するんだろうか。
決め方が分からないな。
朧げでもいいから考えてみようか。
一番に思い浮かんだのは、寝る前に「ああ、いい一日だった」と思えることだろうか。
これはもはや感性だ。
そこでの良い一日の定義はないだろう。
なんとなくでもそう思えたらそうなのだろう。
他にはなんだろう。
自分で決めた目標を達成できたら良い一日だろうか。
目標やタスクや、なんでもいいけど、自分で決めたもの。
それは言い換えれば「結果を残した」ということだろうか。
たしかに結果が出ていれば良い一日と判断しやすい気がするな。
でもちょっと待ってくれ。
例えば僕がこの前果たした「川辺でぼーっとする一日」というのは良い一日ではなかったのだろうか。
いや、僕はあれはあれで、いや、あれこそは良い一日だったと思うのだ。
あの日は自分で決めたスケジュールを中途半端にしか守れず、結果なぞはほとんど残せていない。
だがそれでも俺はあれは良い一日だったと思う。
そうなればやはり「結果」という一つの基準だけで決めてしまうのはどうも危険な気がする。
そうするとどうだ。
やはり感性になってしまうのだろうか。
たとえ非生産的な一日を過ごしたところで、なんとなく良い一日だと思えばそれで全て解決なのだろうか。
そう言われてしまうと何か違う気がする。
そうだ。
逆転の発想だ。
その一日に後悔がなければ良い一日と呼べばいいのではないか。
これはどちらかと言えば消極的肯定に近いのだろうか。
だがこれはなかなか良いのではないか。
たとえ非生産的だあろうが、その日に対して後悔がなければいいのではないか。
もしその一日に後悔があるならやはり良い一日と認めるのはどうかと思う。
うん、これはなかなか良い気がする、ぞ。
まあもっとテキトーに言うなら、毎日を良い一日だと思うことで幸せになれるんだ、みたいなことになるけどさ。
それはちょっと今言いたいこととは違うんだよな。
とにかくですね、僕は夏休みを楽しく過ごしたいんですよ。
変化したいです。
あれ、こいつ変わったな、と思わせたいのです。
見た目も中身もどちらも。
もちろん良い意味で。
そのためにしっかり結果を残したい!
明日から、いや今からやることは決まってます。
また進捗があり次第報告していきます。
僕は面白くなりたいんだ。
いや。
面白いものをつくりたいんだ。
そして、彼女が欲しいんだ。
そこかーい。
それじゃあまた。